休業中のあれこれ ⑬
すべって転んで…
2ヶ月以上も前のことだが、所用があり 夫と東京へ。
ひと足先に帰る夫と別れた後、雨に濡れた赤坂見附駅の構内ですべって転んで、救急車で運ばれて虎の門病院へ。
転んだ瞬間、まったく動けなくて、人生終わったような気がしたもんだ。
駅員さんが数名かけ寄ってこられ…頭打ってないですか❓
私、見てましたけど、頭は打ってないです…という女性の声をぼんやり聞いていた。
駅員さん数名に抱えられて車椅子へ。
救急車を呼びますから…いえ、大丈夫です❣
このまましばらくじっとしていればよくなると思いますので。
それでも何度か救急車を呼びましょうか…という言葉に、いえ、もう少しこのままでと抵抗していたけれど…
30分くらいじっとしていても車椅子から立ち上がることができなかった。
レントゲン、CT、MRI の検査の結果、股関節にひび、骨挫傷、恥骨骨折…いろんな言葉が飛び交っていたが、最終診断は骨盤骨折と書かれていた。
さいわい手術はしないですんだ。
骨盤骨折は骨が突き刺さったりして、子宮や卵巣、膀胱など付近の内臓にダメージを与えるケースがあるのだとか。
不幸中の幸いか。
初めは立つこともできなかったが、点滴と痛み止め内服薬で徐々に痛みも緩和。
初めての車椅子生活。
お手洗い、歯磨き、ベッドへの移譲…何をするにもナースコールを押すようにと言われて…
介助してもらって車椅子に移譲。
一日に何十回、ありがとうございます、すみません、よろしくお願いします…と言っているだろうか。
近い将来?介護される状態になった時の練習をしているようだと思ったものだ。
ひとりで車椅子への移譲が許可された時はホッとしたものだ。
これで我慢することなく、いつでもお手洗いにも行ける。
生れながらに、あるいは事故や病気で車椅子生活を強いられている人はどんな気持ちなんだろうかとよく思った。
シャワーが許されたのは入院4日目。
戦争などでシャワーはおろかお風呂にも何年も入れずにいるような人々、災害で何日もお風呂にも入れないでいるような人々の思いはどんなか…そんなことばかり考えていた。
ごく普通のことが自分の意志で自由にできることのしあわせ。
普段は意識すらしない。
出かける日の朝、履いていく靴に一瞬迷った。
履いていたのは10年以上も前の靴底がつるつるになったペッタンコの黒い紐靴。
あとひとつも10年以上前に買ったものの、2~3回しか履いていなかったベージュの船底の革靴…こっちを履いていこうか…
白いパンツに黒い半袖ニットに薄手の黒のジャケット、キャリーケースもバッグも黒…くたびれていたが、履きやすくて長年愛用。
やっぱり、こっちの黒だなと。
あの時、ベージュの靴を選んでいたらなぁ…滑ることはなかったかもしれない。
あの時、赤坂見附に行ったりしなければなぁ…
数人から、なんで赤坂見附❓
この時も一瞬迷った。
上野のお寺で眠る友人のお墓参りに行こうか…どうしようか。
会社を辞めて、独立しようと開業準備をしていた息子の仕事と「むらんせ」の商売繁盛を赤坂不動尊で祈願して…
帰りには「しろたえ」でチーズケーキを食べて帰ろうかと。
雨にもかかわらず、今回も「しろたえ」は行列❣
1時間以上かかるという…行列に並ぶのは苦手だ。
早々に諦めて駅に向かった。
あの時、上野に向かっていればなぁ…
あの時、1時間並んでもチーズケーキを食べていれば❓
往生際悪く、タラれば…のケースばかりが頭の中をかけ巡る。
小さなことから大きなことまで、人生は選択の連続だ。
こんなに、靴って大事だなぁ…と思ったことはない。
虎の門病院と聞くと、政治家や有名人が入院する病院という勝手なイメージ。
そのせいではなかろうが、医師や看護師始めスタッフのみなさん、親切で丁寧な言葉遣い…まるでレストランやホテルの接客のようだと思った。
1週間が過ぎた頃、転院先の打診があり、医師から自分の足で歩けるようになれば長崎のリハビリ専門病院に転院、そうでなければ東京の病院に転院となります。
忙しい息子に付き添ってもらって長崎に帰るのもなぁ…
名古屋の友人が迎えに行ってあげるよ❣
気持ちはありがたいけど、それもなぁ…
散々迷ったが、歩けないからこのまま東京のリハビリ専門病院でしっかりリハビリしてから帰った方がいいと思いますよ…どうですか❓
という医師の言葉に決心がついた。
東京にいれば何かと息子たちに迷惑をかけるだろうが、東京のリハビリ専門病院に転院することに決めた。
虎の門病院にいる間に三軒茶屋の施設にいた従妹の訃報があった。
出先で車椅子での介助がしてもらえるならと外出許可が下りて、長男にユニクロで黒いパンツを買ってきてもらい、葬儀に参列することができた。
6月に会いに行った時は2時間以上もおしゃべりして、まだ元気だったのに…
何度も大手術をするような多くの病いを抱えながらも弱音を吐かず、複数の仕事や家事をこなしていた実に働き者❣
あっぱれな人生だった。
母の姉である伯母がまだ元気で、彼女の妹と暮らしていた頃…
私たちは山梨にあった彼女のセカンドハウスに時々集い、食事やおしゃべりを楽しんだ…伯母もにこにこ。
私たち、私が一番末っ子の三姉妹のようね…とよく話したものだ。
転院する前は車椅子は卒業して歩行器で移動。
病院の途中階にある屋上庭園に行くことが許されて、久々に吸う外の空気は清々しかった。
病室の外は高層ビル群…虎の門病院の前にはホテルオークラがある。
リハビリ専門病院へ
虎の門病院で2週間、その後リハビリ専門病院へ転院。
休みで時間ができたからと付き添ってくれた次男と福祉タクシーに初めて乗った。
車椅子でもストレッチャーでもそのまま乗れるような作りになっている…救急車と一緒ですよとのこと。
なるほど…高いわけだ。
トータルで、約2ヶ月の入院となった。
長い入院生活は食と睡眠との試練の時。
病院内にコンビニもなく、おやつなどは許可制。
便秘がちなため、途中からナッツとヨーグルトを許可してもらったが、食事は私の場合、1日に1,600 Kカロリー。
普段いかにたくさん食べているか、いかにカロリーを摂りすぎているか…
それなのに、入院中はなぜだか3キロも太った。
お腹ぷよぷよ。
私は皆さんと同じデイルームではなく、病室で食事を摂るようにしていた。
食事を運んで来て下さるスタッフの中に、上背があり背筋がピンと伸びて…年の頃、50代後半~60代前半かと思しき男性。
ご朝食をお持ちいたしました。どうぞお召し上がりください…
デイルームにはユニマットの無料の給茶機があり、誰でも自由に利用できる。
給茶機の側に立っている時も背筋がピン❣
いらっしゃいませ…と、にこやかに軽く会釈をされる。
毎回とてもていねいな言葉遣い…常々、まるでホテルマンのようだと思っていた。
ある時、立ち入ったことをお尋ねしますが…失礼ですが、もしかしてホテルにお勤めでしたか?
はい❣
働いていました。よくわかりましたね❣
ガッテン❣
食欲は衰え知らずだったが、少しの物音で目が覚める質で なかなか眠られず、しまいには睡眠導入剤を処方してもらったが、それでもよく眠れない日が続いた。
出産以外での入院は数えてみるに、今度で4回目…全て怪我による。
何度目のまさかの坂だろう…
母がまだ生きていた頃、別れ際にいつも母に転ばないようにね❣
そう言っていた私がである。
右肩腱板断裂の時は船橋、東京、長崎での通院リハビリだった。
入院リハビリは最大で1日に3時間受けることができるシステム。
毎朝、患者個別のリハビリや入浴などのスケジュールが大きな液晶画面に表示される。
通算で30名弱の理学療法士、作業療法士の方々にお世話になった。
入院患者のほとんどが80代、90代…私より若いと思われる人はチラホラ。
しかも圧倒的に女性が多い。
しかもそのほとんどが認知症という現実。
さながら、リハビリつきの老人ホームのようだと思った。
私は今回、廃用症候群という言葉を初めて知った。
コロナなどで長い間寝たきりが続いて、全身の機能が衰えてしまった状態のことだという。
廃用…なんとも衝撃的な言葉ではないか。
もっと別な表現はないものか。
誰しもなりたくて認知症になるものではないが、比較的日中はよくても夜から夜中、明け方に状態が悪化する人が多いらしい。
時折、叫び声も聞こえたり…様々なショッキングな事例をかいま見て、老いていくことの哀しみをいやというほど感じた。
自分がまだ若かったらそうでもないのかもしれないが、近い将来のもう少し年齢を重ねた時の自分と重ね合わせてしまい…暗澹たる思いであった。
リハビリ中に8年前に手術をした右肩を傷めてしまう出来事があった。
なんでやねん!
今でも歯磨きや着替え、シャンプー、寝返りなどのちょっとした手の動きにキリッ、ズキッとした痛みがある。
腹立たしくもあり、悔しい思いだが、すんでしまったことは仕方がない。
痛み止めの内服薬や足と同時に肩のリハビリも受けていたが一向によくはならず、不安はつのるばかり。
足の痛みもわずかに残っているが、私にとっては肩の方が深刻だ。
こんなことで営業再開ができるだろうか…
手術をしてもらった菅谷医師が池袋で CT、MRI を完備したクリニックを開業していることがわかり、退院後に菅谷医師の元へ。
診断結果は再断裂はしておらず、注射とリハビリで改善するからと…当日は注射(ステロイド剤)をしてもらう。
再断裂ではないということでひとまずはホッとする。
以前の時と同じく、長崎大学病院に行くようにと検査データと紹介状をもらってクリニックを後にする。
午後3時半の予約だったが、会計をすませて出たのは 8時15分…まいった、まいった。
船橋整形外科の時と同じく…菅谷医師の診断を仰ぎに訪れる患者の何と多いことか。
この翌日、おとといの午後のフライトで長崎へ。
約70日ぶりの我が家であった。
みなさんからご主人大変でしたよね…いえいえ、独身生活をエンジョイしていたみたいですよ…なんちゃって。
病院やホテルでぬくぬくと…一軒家は寒いのなんのって。
寒くてストーブの前に陣取り、2ヶ月分のお掃除をするより先にこうやってパソコンに向かっている。
退院の時は友人が迎えに来てくれて、彼女の運転する車でそのまま富士山一周のドライブに連れ出してくれた。
気になっていた友人のお墓参りもして、息子たち夫婦とアフタヌーンティーを楽しんだり…ほんの数日だが、自由であることを満喫して楽しい時間を過ごした。
詳しくは次回に記そうと思う。
留守の間、ご心配をおかけして…
また、多くのお問い合わせのお電話をいただいたようで…
大変ご迷惑をおかけしました。