長崎原爆忌

長崎原爆忌

今日も暑かった。

母はよく、あの日も暑かった…と言っていた。

今日は73回目の原爆忌。

母の月命日でもある。

朝までは11時2分…と思っていたのに、部屋を閉め切っているとサイレンの音も聞こえず、お参りに来てくれた友人とのおしゃべりに夢中で気がついたら11時半。

そうだ❣

式典の案内もいただいていたし…急に思い立って、平和公園、原爆資料館へ足を運ぶ。

実に約50年ぶりのこと。

この坂を上ると死没者追悼平和記念館、原爆資料館がある。

先ずは15年前にできたという死没者追悼平和祈念館へ。

ここに式典期間中を除いて死没者名簿が安置されているという。

登録をした約9千名の写真と被爆した当時のデータが。

名簿の閲覧はできないが、パソコンにアクセスするとみることができる。

私はここで母の被爆体験記をみることができた。

そこにはすぐそれとわかる母の特徴ある文字があった。

そう長くはない文章の中に、50年経った今でも忘れることができません…50年過ぎた今でも忘れません…というくだりが3ヶ所もあった。

原爆資料館がきれいに整備されているのにびっくり❣

夏休みということもあり、小・中学生始め若者がほとんどだった。

50年前のかすかな記憶をたどり…こんなにきれいに整備されていると、悲惨さの伝わりぐあいってどうなんだろう…と思ってしまったのは私の偏見か。

被爆した浦上天主堂の側壁(再現)

世界の核弾頭保有数

2017年時点のようだが、なんとも…この数の多さに驚く。

折鶴で作られたNO WAR

平和公園へ通じるところにエレベーターが…これにもびっくり。

平和の泉

のどが渇いてたまりませんでした

水にはあぶらのようなものが

一面に浮いていました

どうしても水が欲しくて

とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

———あの日のある少女の手記から

と記されている。