母の日によせて

風薫る五月

母がいなくなった母の日。

夫の両親もずいぶん前に他界して、親と呼べる存在がいなくなってしまった。

長崎に戻ってきてから母が元気だったのはわずか半年。

自分のリハビリ通いと引っ越しの後片付け、カフェの開業準備に追われて…母と過ごした時間はあまりなかった。

スコーンが好きで、試作のスコーンを持っていくと、『これ、おいしかね~』と喜んでくれた。

母はコーヒーも紅茶も好まなかったが、熱々の焼きたてのスコーンをむらんせの座席で食べさせたかった。

家が片付き、カフェの準備がある程度整ってから母を連れてこようと思っていたばっかりに…至らない娘である。

まるで、私がパリから戻るのを待っていたかのように脳梗塞を発症…それから8ヶ月のこと。

月に一度、母を定期検診に連れて行くと、病院のスタッフの方々が親切ににこやかな笑顔で迎えてくれる。

地域の中核病院だから患者も多く待ち時間もけっこうあり、病院通いは老人にとっては一日仕事だが、長年の主治医の診察日を楽しみに…あたたかな言葉を何よりの励みにしていたようだ。

そして、診察が終わると病院内の食堂でお昼を食べるのを何よりも楽しみにしていた。

食堂に入っていくと、スタッフの方が、『あら~、おかあさん、来とったと?』

娘の私には見せたこともないような?にこやかな…満面の笑みを返す。

いつも決まって注文するのはうどん定食とサンドイッチ。

91歳にして目を見張る食欲❣

そんな母だったが、最期に自分の口からものを食べたのは息子が送ってくれたおせちをペースト状にしたものをスプーンでほんのふた口。

自分より先に友人たちも亡くなってしまい、この数年はひとりでの外出もままならず、唯一の外出は月に一度の病院通いと週に3回のデイ・サービスに通う日々だった。

『みんなね、ようしてくれるとよ…としばとるとね、やさしか言葉がいちばんうれしかとよ…』とよく言っていた。

娘が20数年も傍にいなかった間、年に数回の帰省ではわからなかった私の知らない母の世界があり…周りの多くの人に支えられてきたんだなぁ…と改めて思う。

今日の長崎は小雨模様。

朝から母が好きだったスコーンを焼いた。

焼きたての熱々を、この席で食べさせたかった。