1年の終わりに
訃報
この夏、
夫の転勤で共に長崎から名古屋、そして東京と20数年間、多くの時間を一緒に過ごした友人の突然の訃報。
私が長崎に戻ってからはメールや電話、インスタグラムを通して互いの日常を垣間見ることに。
最後に会ったのは2年前の12月に東京で。
最後に話したのは亡くなるひと月前。
最後になったラインのやり取りは亡くなる1週間前のこと。
その後、送ったラインがなかなか既読にならず、おかしいな…どうしたのかしらと思っていたその日。
いまだに信じがたい思い。
ムランセには彼女の思い出の品があちらこちらに。
オープンに合わせて作ってもらったお手製のコースター、クリスマスの時期に登場するティーマット、置物や壁飾り、お祝いにいただいた絵画。
これは当初の写真で、今となってはシミや汚れもあるが。
筆まめな人で、折々にカードや便りの数々…
クリスマスには必ずクリスマスカードが。
目につくと、つい読み返してしまう。
彼女を思わない日はない…日に何度も。
生きている時よりもはるかに。
なんでだろう…
初めての名古屋で私たちはよくデパートへ行って、都会のデパートを楽しんだ。そのあとランチやお茶をして…夫や子供たちを送り出した後の専業主婦なればこその自由を謳歌❓
私が週に2日程パートで働き始めてからは頻度が少し減ったが。
松坂屋は名古屋が本店。
名古屋一の繁華街、栄に本館、北館、南館。
そして、三越。
当時はすぐ近くに丸栄もあった。
名古屋駅には名鉄、更に駅裏にも松坂屋が。
数年後には高島屋もオープン。
都会のデパートは品揃えも豊富で、私たちの物欲は大いに刺激された。
いつもいつも買い物ができるわけではないが、見て回るだけでも楽しかった。
長崎に戻って来て、ひとつしかないデパートの中をうろうろする時、私のことをデパートが好きな人でよかった〜と言った彼女の言葉をよく思い出す。
瀬戸や多治見、常滑の窯元めぐり。
トヨタのお膝元、名古屋は車社会で道路が整備され、どこへでもひとっ走り❣
幅100mもある広い道路にびっくりしたものだ。
ドライブも楽しんだ。
彼女と私の息子が通っていた小学校でトールペイントの作品展があり、魅せられた私たちは家の近くにあった教室に ふたりして、即入会。
私にしては珍しく6〜7年は続いたように記憶している。
最初の2年間は同じマンションで、その後、私は車で1〜2分のすぐ近くのマンションに引っ越しをすることになった。
時には歩いて5分程度の中間地点のカフェでお茶をしたり。
今はもうないが、南山大学近くの素敵なカフェだった。
毎日でも行きたい あこがれのカフェだった。
共に過ごした長い時間、思い出の場所、語り合った多くのこと…思い出してはせつない気持ちになる。
東京では銀座、池袋、上野、巣鴨、代官山、自由が丘、表参道…
挙げればキリがなく、時には少し遠出して…立川、町田、横浜などへ。
桜の名所や庭園、デパートも多く、お出かけ先には事欠かなかった。
東京では美術館へもよく足を運んだ。
ゴッホ、モネ、フェルメール、モディリアーニ、フジタ、荻須…
私たちは好みが似通っていた。
食べ物の好みも。
彼女が歌舞伎の無料チケットが当たり、演目は忘れてしまったが、歌舞伎座で初めての観劇。
NHKのSONGS のライブ収録参加にも当選したというので、NHKのスタジオへ。
初めて見るスタジオの中。
へぇ〜 ❣
その時初めて、シシドカフカを知った。
楽しかった思い出がいろいろ…
互いに山手線の駅近くに住み、4駅しか離れていなかったから、時には互いの家を行ったり来たり。
最後の会話となった電話でも…
東京、来ないの~ ?
う〜ん、行きたいけど、コロナがもう少し落ち着いて、来年あたりかな~
私も、長崎行きたいな〜
そして、
あの時、北海道行っててよかったね~
この時もそんな話をして、私たちは初めての北海道旅行を懐かしんだ。
あの時とはNHKの朝ドラで、ニッカウィスキーが舞台となった「マッサン」があったころ。
2泊3日の短い旅だったが、ツァーのコースに富良野、小樽、函館の他にニッカウィスキーの工場見学が組まれていた。
自由時間に小樽ではお鮨を楽しんだ。
東京にはふたりの息子もいるが、テレビで東京のニュースや街並みを目にすると、真っ先に彼女のことが思い浮かぶ。
彼女が亡くなって1週間目のこと。
英会話の JUN 先生の訃報が届く。
私よりほんの少しだけ年長。
いつもにこやか、笑顔がチャーミングなアカデミックな雰囲気をまとった素敵な女性だった。
若い頃、長崎でも名古屋でも、ベトナムでも英会話教室に通ったが…そのくせ、たいしてしゃべれずだが…
一番楽しく、おもしろいクラスだった。
あっという間の2時間のレッスンが終わると、区民会館の地下のレストランで皆でランチ。
時には電車に乗って、銀座、上野、代官山界隈に繰り出したり。
JUN 先生と最後に会ったのも2年前の同じ日。
当時の英会話仲間で懐かしのランチの後、日暮里のウィリアムモリスの生地店にご一緒した。
互いにテーブルクロスの生地を求めて駅で別れ、私は亡くなった友人の家にお邪魔したのだった。
私が長崎に戻るとまもなく、できたわよと出来上がったテーブルクロスの写真が送られてきた。
私はと言えば、いまだ手つかずのまま。
家に持ち帰ってみると、どうも色がしっくりこない。
色違いで求めたのだが、JUN 先生が選んだ方が素敵だったな…
モリスの店を教えてくれたのも彼女だったから、この日のことを連想。
JUN 先生にも長いこと電話してないなぁ…
近いうちにかけてみよう…そう思った矢先のこと。
そのうち、いつか…なんて、よく思い、口にもする。
そのうち、いつか…なんて思っててはいけない。
残された時間は誰にもわからない。
痛切にそう思う。
東京に行っても、もうふたりに会うことは叶わない。
ご家族の悲しみ、喪失感を思う。
ただ、ただ、やすらかな眠りに…
と、祈るばかり。