ラジオ生中継
★紅茶の日
11月1日は紅茶の日であった。
今から200年以上も前の日本がまだ鎖国時代、現在の三重県の大黒屋光太夫という人物が日本人として初めて外国の茶会に招かれて紅茶を飲んだと言われ、後年、それを日本紅茶協会が紅茶の日として定めたものだという。
日本に紅茶が伝わった日ではなく…紅茶が伝わるのはもっと後のことになる。
物資を積んで江戸へ向かって航海中の大黒屋光太夫の船は、嵐に見舞われて遭難。
乗り組んでいた大半の者が命を落とす中、九死に一生を得て、ロシア領の小島に漂着した後、何年もの歳月をかけてロシアのサンクトペテルブルグへ。
そこで時の女帝、エカテリーナⅡ世に謁見が叶い、茶会に招かれたり、日本への帰国の道筋がついたのだという。
読んだことはないが、大黒屋光太夫については井上靖や吉村昭の著書が残されている。
紅茶とは無縁だったが、11月1日は亡くなった父の誕生日でもある。
生きていれば97歳。
★NBCラジオスキッピー
紅茶の日に因んで、NBCラジオから取材のお話があり、翌2日の月曜日にNBCラジオ『あさかラ❣』という番組のスキッピー生中継というコーナーに参加。
ラジオ生中継なんて、初めての経験…心配と不安。
私のせいで放送が台無しになったらどうしよう…緊張度MAX❣
30分くらいの打ち合わせのあと、ON AIR ❣
担当スタッフの方の質問事項は6項目。
① なぜ長崎のこの地でカフェを?
② 紅茶との出会いはいつ?
③ お店のこだわりは?
④ こちらで飲むことができる紅茶の種類は?
⑤ おいしい紅茶を入れるポイントは?
⑥ 私にとっての紅茶とは何か?
約5分間でこれらの質問に簡潔に答えるというもの。
限られた時間の中で緊張のあまり、言葉足らずの面も…ラジオでお話した内容に少し補足して記してみようと思う。
① なぜ長崎のこの地でカフェを開こうと思ったのか?
夫の転勤で、私は20数年間長崎を離れていた。
名古屋に8年半暮らし、その後東京へ。
私の地元は長崎のこの南部地区。
父や母が暮らす実家に帰省するたびに、近くにカフェとか喫茶店があったらいいのになぁ…とずっと思っていた。
今とちがって、当時 この南部地区にはカフェや喫茶店と呼べるようなものはなかった。
名古屋の家から半径1〜2キロくらいの範囲には住宅街にもかかわらず、大小様々なカフェや喫茶店が数多く点在。
すぐ近所には当時はまだ珍しかった紅茶専門店とイギリスで暮らしていたというご夫妻がやっている喫茶店があった。
小さなマンションの一角にテーブル3卓とカウンター席があり、テーブルや椅子はイギリスのアンティークと思われる、素敵な雰囲気のお店だった。
手がけたのは知る人ぞ知る、名古屋では著名な建築家だと、当時パートで働いていた会社の同僚が教えてくれた。
私は週に2〜3日、ハウスメーカーで働いていた。
仕事が終わると近くのスーパーで買い物をし、自宅のあるマンションの前を通り過ぎて、
その喫茶店の駐車場に車を停めて…ひと息入れてから家に帰ることがささやかな楽しみであった。
家に帰るまでのわずかな時間のほっとひと息、くつろぎの時間。
時には近くに住む友人とお茶をすることも。
いつか長崎に戻ることができれば、自分も自宅の片隅でこんなお店が持ちたいなぁと思っていた。
② 紅茶と出会ったのはいつか?
いちばん古い記憶として…家に誰も飲まないリプトンの青い缶に入った紅茶があった。
母はコーヒーも紅茶も好まない人だった。
父はコーヒー党。
弟たちはまだ中学生と小学生。
おそらくいただきものだったのだろう。
子供のころから牛乳が苦手だった私は鍋に牛乳とその紅茶を入れて沸かして濾して、砂糖を入れて飲んでいた。
高校生の頃、勉強?の合間に飲む寒い季節の甘いミルク紅茶はとてもおいしかった。
当時はそんな言葉も知らなかったが、甘いロイヤルミルクティー。
余談だが、牛乳の成分が紅茶の抽出を阻害するので、牛乳の中に紅茶を入れるのではなく、初めにお湯で紅茶を抽出してから牛乳を加える方がよい。
その後、二十歳くらいだったと思うが、長崎在住のイギリス人の女性とお茶をする機会があった。
彼女がミルクも砂糖も入れないで紅茶をそのまま飲んだことにびっくりした。
紅茶はミルクと砂糖を入れて飲むものだと思っていた。
私たちが日本茶を飲むのと同じなんだ…
その時のカップは今も憶えている。
縁に赤いラインが入ったぽってりしたアイボリーのカップ。
たしかあれはニッコー。
両手でカップを包み込むようにして…彼女の美しい所作と共によく憶えている。
それからというもの、自分も真似て、砂糖も何も入れないで紅茶を飲んでみるようになった。
変わらず、ミルクティーも好きだったが、印象深い紅茶との出会いである。
③ お店のこだわりは?
こだわりというか…お菓子などの材料には手に入れることができる範囲で、できるだけ国産のもの、有機栽培のものを使うようにこころがけている。
④ こちらで飲むことができる紅茶の種類は?
紅茶、ハーブティーは山梨にある紅茶専門店、サロン・ド・テ・マヴィのものを取り寄せている。
ダージリン、マヴィ・メランジュ(ダージリンとキームンのマヴィオリジナルのブレンドティー)、ウヴァ・ハイランズ、アールグレイ、常時この4種類とスポットでダージリンのファーストフラッシュ、いちご紅茶などをご提供。
今後、仕入れなどの関係で少し内容が変わってくることもあるかもしれないが。
⑤ おいしい紅茶を淹れるポイントは?
紅茶を淹れる水は酸素を多く含んだ水がいいと言われている。
汲み置いた水ではなく汲みたての水、沸かしたてのお湯…沸かしすぎはよくないが、沸騰したお湯を使い、大事なポイントは茶葉の種類と湯量、蒸らし時間の関係。
蒸らし時間をきっちり取る。
茶葉の種類や大きさによって、蒸らし時間は変わってくる。
蒸らし終えたら、温めた別のポットにベスト・ドロップと呼ばれる最後の一滴までしっかりと濾す。
このベスト・ドロップにおいしさが凝縮されているという。
⑥ 私にとって紅茶とは?
私にとって紅茶とは…さて、なんだろう…
少しピントがずれた答えかもしれないが…
若い頃はフランスにあこがれていた。
国語の教科書で、朔太郎の『ふらんすに行きたしと思えども…』の一節と出会ってからというもの、フランスに行ってみたいとずっとあこがれていた青春時代。
40年前の初めての海外旅行はあこがれのフランスとギリシャ。
東京にいる時に紅茶教室に通い、紅茶のことをいろいろ知るようになってからというもの、イギリスに対するあこがれ、イギリスに行きたい。
イギリスを知りたいと関心を高めてくれたというか、もたらしてくれたのが私にとっての紅茶。
以上のようなことをかいつまんでお話しした。
ラジコだと長崎でなら1週間は無料で聴くことができるということだった。
あとでラジコで聴いた自分の声、自分のしゃべり…
最後は噛んでしまうし…
マスクをはめたままということを差し引いたとしても…
なんだか泣いた後のような声、張りのない明るさのない声…
ラインで息子たちにそう報告したら…
今までの苦労が声に出とるんじゃ❓
ひゃ〜❣
息子よ❣
若い頃から、自分の声って好きじゃないと思っていたが…
数日後、ラジオを聴いて…と、お子さんが我が家の息子たちと同じ幼稚園に通っていたという方からお電話をいただいた。
お顔がすぐには結びつかなかったが、お子さんの名前には耳に記憶が。
近いうちに行きます…お待ちしていますと電話を切ったのだが、翌日の営業日には早速来てくださった。
その方も19年前に引っ越しをされて、遠くなったというのに…ありがたく、うれしいでき事だった。
我が家の息子たちや、孫がかわいくてしょうがなかった私の母…時々、幼稚園にも顔を出していた。
その母のことまでよく憶えていてくださった。
いつもはNHKを聴いているが、たまたまチャンネルを変えた時、私の名前が耳に飛び込んできたのだという。
もしやと思い、NBCラジオに問い合わせたら親切に教えていただいたのだと。
これも何かのご縁 ⁉
話は息子たちの髪型にまで及び…私は散髪代を節約して、小学校の低学年の頃まで息子たちの髪を切っていた。
いちばん簡単なマッシュルームカット。
学年が上がるごとに嫌がられたが。
長男などは女の子に間違えられたこともあるほど。
そのマッシュルームカットをよく憶えていると。
私たちは同い年というのがわかったが、驚くほどの記憶力に脱帽❣
あれやこれや、30年以上も前の昔話に花が咲いた。
ラジオのお話をいただいて真っ先に思ったのは、父方の祖母のこと。
祖母は活字がとても好きな人だったが、晩年、目を悪くしてからはほとんど一日中ラジオを聴いていた。
手のひらサイズのトランジスタ・ラジオを買ってあげたらとても喜んでくれたものだった。
そのトランジスタ・ラジオのようなものに繋がれたイヤホンを片耳に当ててみると、スタジオの音声が私にも聞こえてくるしかけだった。
へぇ~❣
ON AIRの直前に淹れた紅茶が蒸らし終わり、中継の中でスタッフの方にポットに濾す作業をしていただいたり…実際は7分程度の中継だった。
紙が媒体の取材とちがい、この上ない緊張だったが、何事も経験❣
普段の生活の中ではできない経験をさせていただいた。
取材に来られたおふたりの女性は、平日は長崎県内を中継車で走り回っているという。
どうもありがとうございました。