父の日によせて
★父のこと
今年ももうじき、父の日がやってくる。
父が逝ってから今年で9年になる。
穏やかで寡黙な人だった。
幸いなことに定年後も職を得ることができて、73までよく働いた。
お酒はほとんど飲まず、コーヒーが好きだった。
ずっと昔のことだが、家に来た時など、「お昼、何がいい?」
「うん、パンがあればパンとコーヒーでよかよ。」
「パンとコーヒー❓」
答えはわかっているのに、私もいつも同じことを聞く。
父はジャムよりバターが好み。
熱いコーヒーをズズーッと音を立ててすする。
そして
「あ~、 やっぱりインスタントじゃなかコーヒーはおいしかね~❣」
自分の家ではもっぱらインスタントコーヒーだった父。
父が生きていたら、カフェのオープンを喜んでくれたことだろう。
部屋の片隅で、新聞を読みながらコーヒーを手に取る姿が目に浮かぶ。
★母のこと
先週末、母が緊急入院した。
救急車で運ばれた病院で40度の高熱を出していることがわかり、腎盂炎の疑いありと。
午前中は近所の泌尿器科もある内科を受診したのだが…なぜわからなかったのだろう。
何かいつもとちがうなあ…ぼうっとしていて視点がおかしい。
まるで目が見えていないような…
「お母さん、目、見えてる?」
「見えてるよ…」こんなやり取りを何度もした。
会話が続かない。
母の顔を見るのは、母の日に一緒に食事をして以来、パリから帰って初めてだった。
しゃべっている言葉がちんぷんかんぷん。
もしかして、ついに痴呆が始まったのか…
しかし、こんなに急にくるものだろうか。
そのうちにだんだんろれつが回らなくなり…
CTではわからなかったが、週明けにMRI検査の結果、脳梗塞を発症していることがわかる。
言語を司る場所がダメージを受けて。
腎機能が低下しているから脳梗塞の治療ができないと言う。
1日にして、自分の年齢も誕生日もわからなくなり、会話が成立しない。
今年、91歳になった母は弟とふたり暮らし。
ひとりでの外出は無理があったが、家の中では手押し車や手すりにつかまり、トイレも自分で。
時には自分の好きな簡単なものは調理もし…週3回はディサービスに通い、週2回は掃除洗濯など、ヘルパーさんのお世話になりながらも身の回りのことは自分でしていた。
私は休日に食事を作って持って行ったり、実家の台所に立って母の好物をこしらえる程度。
私はよく思ったものだ。
自分が母の年齢になった時、母のようにできるものだろうか…
おそらく、できないだろう。
そもそもそんなに生きることができるだろうか。
私がもっと早く病院に連れていっていれば…
ためらわずにもっと早く救急車を呼んでいれば…と思わずにいられない。
母はコーヒーも紅茶も好まないが、母親特有の心配はしていても、カフェのオープンを楽しみにしてくれていた。
月に一度の定期検診に連れて行くと、長年の主治医に「娘が喫茶店をするとですよ…先生、行ってやってください」と宣伝。
誰よりも私が長崎に戻ったことを喜んでくれた。
それもまだ半年しか経ってないというのに。
不思議なことに、「はい」と「ありがとう」はハッキリ言える。
きのうは、途切れ途切れにだが
「なんでね~~こんななったとやろうかね~~」と何度も。
「お母さん、脳梗塞にかかったのよ。 軽いからリハビリでよくなるよ」
「あら~脳梗塞ってや~脳梗塞ね~~」と何度も。
なんでねぇ~はがいかねぇ~(歯がゆいの意)…と何度も。
言葉を出そうとしてもなかなか出てこないと終いには、ふふふ…と笑い出す。
その笑顔のかわいいこと。
私は初めて母をかわいいと思った。
子どもには厳しく、恐い母だった。
我が家の息子が
「おばあちゃん、今の時代は100歳だよ❣」と言った言葉を励みに、100歳が目標だとよく言っていた母。
遅かれ早かれ、老いれば誰もがいつかは辿る道。
わかっていても、こんな姿になった母を見るのは胸が痛む。
この現実をどう受け止めればいいのか。
自分の鈍さ、至らなさが悔やまれる。
今年もらっきょうを漬けるつもりでいたのだろう。
生協に注文していたようで、3キロも届いていた。
らっきょうなんて自分で漬けたことはないが、今年は母の代わりに漬けてみることにしよう。